現実と向き合うということ
現実と向き合うということは、嫌なやつ、キチガイクレーマー、許せない奴らがこの世界に存在することを嫌でも認めて生きていくということなんだろう。
どんなに否定したところで奴らは確かにこの世界に存在する。
それが嫌なら逃避するしかない。現実を否定し、二次元や美しい世界に逃避すればそれは心地いいと思う。
でもいい加減逃避して狭い世界に篭るのは、もう止めたい。
今さっき自覚したのだが、俺は、嫌な人間、キチガイクレーマーなどの話を聞くと、なんでこんな嫌な奴らが存在するんだろう。こいつらがこの世から消えてくれれば今より少しは生きやすい社会になるのにと思う。
なんでこんな不愉快な連中が生きているんだろうかと。なんでもっと世界は美しくないのかと。
潔癖症というのかな。”在るべき理想像”というのが自分の中にあって、それから外れていると嫌な気持ちになったり、陰鬱な気分になってしまう。自分が被害にあったわけでもないのに悲しい気持になる。
何人かに言われる。繊細だねと。
もういい加減、弱いまま、繊細なまま在りもしない「美しい世界」とやらを求めるのはやめにした。
この世界には光があり、闇がある。優しい人がいれば意地悪な人もいる。ちょっとしたことで怒る沸点の低いキチガイがいれば、細かいことは気にならない人もいる。
不愉快なことがいっぱいあるのがこの世界だ。
ただあるがままを受け入れる。
辛くたって悲しくたってそれが現実。
前に進むしかない。